EPISODE 04
黄昏に溶ける足音
解析を終えた主人公は、神代とともに局長・榊時雨のもとへ向かう。
2月5日:地下第三解析室
御堂さんに「蓮が来るまで、そこにいろ」と言われてから、十分も経っていなかったと思う。
地下第三解析室の扉が開き、神代さんが入ってきた。
「いた。思ったより早く終わったんだね」
「来たんですか」
「呼ばれたからね。夜華、どうだった?」
神代さんは私のところへ来るより先に、御堂さんへ確認を取った。
「反応は二回とも再現した。こいつが近づいた時だけ変化する。離れれば戻る。漏出なし、封印も正常。外からの干渉もない」
「原因はまだ分からない?」
「ああ。昨日から残ってる感覚もあるらしい。今日は少し薄いって本人は言ってる」
必要なことだけが、淀みなく引き継がれていく。神代さんは解析台の向こうにある白禍を一度見て、それから私へ視線を移した。目元から手元まで静かに確認すると、それ以上は聞かず、御堂さんへ視線を戻す。
「さっき少し顔色が落ちた。水は飲ませた」
「夜華が? ちゃんと面倒見てるじゃない」
「その言い方やめろ。普段は何もしてないみたいだろ」
「そういう意味じゃないって。えらいえらい」
「雑に褒めるくらいなら黙れ」
二人のやり取りを聞いているうちに、さっきまで白い光と機械音しかなかった解析室が、少しだけ普通の仕事場へ戻った気がした。
「このあと榊さん?」
「ああ。本人も連れていく予定だった」
「じゃあ俺が一緒に行くよ」
「頼む。まだ一人にはするな」
話があまりに自然にまとまっていくので、私もちゃんと同行するのか確認した。
「私も行くんですよね?」
「もちろん。君の話をしに行くのに、置いていかないって」
「そういう意味で聞いたわけじゃないんですけど……」
「違った?」
そう聞かれると困る。知らない場所で、知らない局長と一人で話すより、神代さんが一緒にいてくれる方が安心するのは確かだった。
「……違わないです」
「じゃ、決まりね」
御堂さんはそこで端末へ視線を戻した。
「蓮。さっきの反応については俺から榊にも送っておく。お前はこいつを連れてけ」
「了解」
「あと、今日はもう白禍に近づけるなよ」
「それは本人にも言っといた方がいいんじゃない?」
「言った。信用してない」
「信用がない……」
「もう一回やれば何か分かるかも、って考えてただろ」
言い返せない私を見て、神代さんが笑った。
「夜華、よく見てるね」
「お前に言われたくない」
「それ褒めてる?」
「帰れ」
「はいはい。じゃあ連れてくね」
「その言い方だと荷物みたいだからやめろ」
「そこ気にするんだ」
「気にする」
御堂さんは完全に端末へ戻ってしまった。神代さんもそれ以上は構わず、解析室の扉を開ける。
「行こっか」
外へ出ると、背後で扉が閉まった。白い解析室の光が細くなり、やがて見えなくなる。
廊下を歩き始めて少ししてから、神代さんが尋ねた。
「夜華から起きたことは聞いたけど、君自身はどうだった?」
何が起きたかではなく、どう感じたか。少し考えてから答える。
「……昨日より、分からなくなりました。昨日は、私が変なのかもしれないって思ってたんです。でも今日は、白禍の方も何か……私を見てるみたいで」
「怖い?」
「分からないです」
「そっか。じゃあ、今は分からないままでいいよ」
「御堂さんにも同じこと言われました」
「へえ。仲良くなれそうじゃない」
「どこがですか」
「同じこと言われてる」
「それだけで?」
「十分でしょ」
「基準が雑です」
歩きながら言い返すと、神代さんは少し笑った。
「夜華より愛想あるのに」
「まだ気にしてるんですか?」
「何を?」
「愛想」
「全然」
絶対に気にしている。
そんなことを考えているうちに、エレベーターの前へ着いた。神代さんがボタンを押しながら、話を切り替える。
「このあと会う榊さんなんだけど」
「局長ですよね」
「そう」
続きを待ったけれど、それだけだった。
「……それだけですか?」
「何が?」
「局長について」
「会えば分かるよ」
「御堂さんには、神代さんの説明は分かりやすいって言ったんですけど」
「撤回する?」
「ちょっと考えてます」
「厳しいなあ」
到着したエレベーターへ乗り込むと、神代さんが操作盤へ手を伸ばした。
「場所は、植物性記憶資料保全区画」
「……長い」
「でしょ」
「それ、みんなそう呼んでるんですか?」
「いや。普段は温室」
「最初からそう言ってください」
「正式名称、一応あるから」
「会話で使う人いるんですか」
「たぶんいない」
「じゃあ何で言ったんですか」
「新人だから?」
「説明が雑なのか丁寧なのか分からなくなってきました」
「俺も今ちょっと分からない」
扉が閉まる。さっきまで頭の中を占領していた白禍のことが、くだらない会話をしているうちに少しだけ遠ざかっていた。
やがてエレベーターが止まり、扉が開く。
最初に感じたのは空気だった。地下とは違ってわずかに湿り気があり、土と葉と水の匂いがする。
外へ出ると、視界の先に植物が広がっていた。背の低いもの、大きな葉を広げたもの、細い茎を光へ伸ばすもの。知らない種類ばかりなのに、白い解析室を出たばかりの目には、その緑がやけに鮮やかに見える。
「……本当に温室だ」
「だから言ったでしょ」
「記憶保全局の中にあると思わなかったです」
「まあ、初見だとそうなるよね」
神代さんと並んで奥へ進むと、葉の重なりの向こうで人影が動いた。長い銀髪を低い位置で束ねた男が、こちらを振り返る。手には小さなじょうろを持っていた。
「お疲れさま。思ったより早かったね」
「夜華が切り上げたんで」
「そう」
その人の視線が、神代さんから私へ移る。
ほんの一瞬だけ、呼吸が止まったように見えた。
けれど次の瞬間には、もう穏やかな表情に戻っている。じょうろを置いてこちらへ歩いてくると、何事もなかったように口を開いた。
「初めまして。記憶保全局局長、榊時雨です」
「初めまして。よろしくお願いします」
「こちらこそ。そんなに緊張しなくていいよ。今日は説明と確認だけだから」
榊さんは柔らかく笑い、そのまま神代さんへ確認を取る。
「夜華から報告は受けている。蓮も一通り聞いた?」
「はい。ただ、本人から全部聞き直すより、榊さんの前で必要なところだけ話してもらった方がいいかなと思って」
「そうだね。同じことを何度も話させる必要はない」
榊さんが私へ向き直る。
「起きたことはこちらで補える。ただ、君自身がどう感じたかは、君から聞かせてもらえるかな」
神代さんと同じことを言われた。でも、不思議と同じには聞こえない。神代さんは私の隣に立っていて、榊さんは正面にいる。その距離の違いまで、二人の人柄の違いに見えた。
「その前に、座ろうか。立ったまま話す必要もない」
「大丈夫です」
「うん。でも、私が座りたいんだ」
「榊さんが?」
「局長も疲れるからね」
「それ言われたら断れないでしょ」
横で神代さんが笑うと、榊さんはそのまま彼にも椅子を勧めた。
「蓮。君も座るんだよ」
「俺も?」
「夜華から、寝てないと聞いた」
神代さんが黙った。今度は私が横を見る番だった。
「情報が早い」
「御堂さん、仕事が早いですね」
「君までそっち側に行く?」
「夜華は必要な情報を、必要な相手に共有しただけだよ。判断力に関わる以上、今回は私にも必要だ」
「正論だ」
「分かったなら座りなさい」
「はい」
神代さんが素直に椅子を引き、私もその隣へ座る。植物に囲まれて、局長と特務班長と新人が向かい合う。状況だけなら、ずいぶん場違いな気がした。
それでも、地下の解析室よりずっと息がしやすい。榊さんは私たちが座ったのを確かめると、静かに口を開いた。
「では、今日起きたことから確認しよう」
私はもう一度、あの青い火花のことを思い出した。